「気に食わねえなあ!殺られたくなければ殺ればいい!力がないなら逃げ続けろぉ!それすら出来ねえなら喚く権利を放棄しやがれ。うぜえんだよ!」

 ガン、と、地面を強く蹴る踵が俯けた視界の端に映りこんだ。

 腹の内に燃え盛り渦を巻く憤りを叩きつけるように。

 ガン、ガン、と。

 打ち付ける踵は闇にも似た黒。

「立てぇ!何度も言わせるなぁ!」

 鋭い恫喝が全身を硬直させた。

 反射的に顔が上がる。

 弱弱しい掌という名の盾が顔面から解き放たれる。



 その人は俺に背を向けたまま、チラリとも視線を寄越さずに、眼前の黒い塊と対峙していた。



 風が消える。

 空気の流れが失せる。

 吐息すらも、掻き消えた。

 長身の痩躯。

 月光を浴びる髪は白。陶器を思わせる滑らか、かつ無機物的な流れは腰元まで到って。

 纏う衣服は全て黒衣だというのに、何より、何より、その白が印象的で。

 いつか、何かの本で見た、陶磁器の、ようで。



「ヴおぉおい!!」

 人の姿をしているのに、人ならざるもののような――。

激しい違和感を俺の中に投げ落とした。







 記憶がフラッシュバックするかのように。

 そこから先は全てがまるでコマ送りだった。

 無意識のまま、奮い立たせる声音の導きのまま、軟弱な足が俺の意思を汲み取るより速く、本能に従って壁へと寄りかかりながら体を直立させたのを、彼は感知したのだろうか。

 四肢を勢いよく振りかぶり、眼前の彼を無視して俺へと黒の触手を突き刺さんとする奴に対し、彼は酷く些細な動作でもって、奴を霧散させたのだ。

 掌底を叩き込むみたく、脇を締め、腰元辺りから突き上げながら。

 その手で、触れるだけで。叩きつけるだけで。

 どろどろに濁り合う黒の塊は、気化を思わせるほどの微粒な霧へと変わり、空気に溶け込んで。

 瞬時に、霧散した。

 あまりに呆気なく。

 とてもとても唐突に。

 急転する事態に俺は唇を開いたまま呆然と前を見つめることしかせずに。



 だから。



 振り返った彼の瞳に射竦められて、身動きひとつ取れなかった。



 白い。

 銀色?

 いや、銀よりも幾段か上の白銀。

 見たことのない色の瞳に貫かれて、体が引き攣り、動かない。

 無防備極まりない状況の下、彼から腕が伸びてくる。

 先ほどの塊と同じ……いや、見慣れた人工的な、衣服の黒い腕が真っ直ぐに伸ばされ。

 白手袋に覆われた指先が、配慮の欠片もなく俺の顎を掴み上げた。

「なっ……あ…」

「黄金の妖精眼……黄金瞳か」

 ツイ、と瞼を下ろしながら視線を狭めた彼は、空いている反対側の手で右目の下瞼を撫で上げる。

 右眼。

 俺にとって右眼…右の瞳は異端としかいいようのないものだった。

 一昨年の冬の始まりの頃。

 丁度今から二年ほど前の辺りだったろうか。

 空気の軋む冷え込んだ朝に、鏡を見て、己の変化に息を呑んだのだ。

 右眼が。

 右の瞳が。

 琥珀のようだと愛でられていたオレンジが。



 色素を抜かれたかのように、黄金へと変色していたのだった。



 猫のような縦に長い瞳孔を伴って現れた金色の瞳。



 病気かとも思ったけれど、医者に見せても異例、異端、原因不明としか診断されず。

 危うく研究対象として扱われそうになったところを、両親や、遠縁の伯父に助けられたのだった。

 幸い、中学校入学より前のことだったので、現在近しい友人たちには俺のコレは生まれつきだと押し通してある。

 通常の瞳から急に変化したというのと、生まれつきだ、と主張するかの選択は非常にぐらつく天秤であったのだが……正常から異端になるのと異端を常として認識するのとはニュアンスが大分違う、ということで、この道を選びとったのだ。

 コレがなんなのか、俺は知らない。

 俺の周囲の人間も、知らない。

 知りたいと思う反面、知れば後悔するやもしれないと怯えていたおかげで追及することもせずにいた、のに。

 彼は。



「黄金瞳。こんなところに持ち主がいたとは、なぁ」



 今、俺の瞳を直視する彼は、知っているのだ。

 その口調から察するに、彼は、俺の望む、俺の望まぬ、怪奇の回答を所持しているだろう。

「………」

 意図して唇を開いてみても、続くはずの言葉は何も生まれ出なかった。

 何を言えばいいのだろう。

 何と言えばいいのだろう。

 訊けばいいのだろうか。しかし、何と?

 第一、訊いて答えが返ってくるのだろうか。

 そうと思い難いのは散々不機嫌そうな顔で、声で、怒鳴られ続けたからだろうか。



「しかし……お前みたいなちんちくりんが黄金瞳なんざ……がっかりだぜぇ!」



「……は?」



 俺の顎からぱっと手を放した彼が、屈めていた上体を伸ばしながら大仰に叫んだ。

 見下すように顎を開き、唇を下品に歪め、唾を吐きだすかのように。

――え。なに?

 がっかり?

 冷徹さばかりを醸していた彼から、突然、怒りのような、悔恨のような、あからさまにわかりやすい癇癪のような感情が噴出してくる。

「それとも、なんだぁ?実は拳法の使い手だったりするのかぁ?日本の血筋なら…ジュードーとか」

「い、いえ、そんな、ことは」

「じゃあやっぱりただの餌じゃねえかぁ」

「え、餌?」

「まあいい。とりあえずこの薄暗い世界を作ってた影人間は倒しちまったからなぁ…さっさと行くぞぉ!」

「へ!?え!?えええええ!?」

 ……物静かで、冷徹な瞳の、白刃の切っ先のような鋭い印象――だったはずの彼は、俺が目を白黒させているうちに、子供のような感情を吐露しながら、何もかもを自己完結させて。



「ヴおぉい!ぼーっとしてんじゃねえぞぉ!うぜえ!!」

 何より俺が真っ暗だと思っていた世界を薄暗いと表現する辺りがどこかズレていると気付いてしまった俺を、まるで荷物のように抱えながら――跳躍した。

 どこに?どこに連れていかれるというの!?

 俺の腰に腕を回して軽々と持ち上げた彼が家々の壁を蹴って飛ぶ様に、ひいいいいと悲鳴を上げながらも、抵抗する術を見出せない俺は言いなりで。



 これが、白磁の旧神の印、スペルビ・スクアーロと、俺、沢田綱吉との些細な些細な出会いだった。







DORCHADAS 前編より一部抜粋